2014年10月号(2)衣食足りて礼節を知る?『幸せ』って一体 何なのでしょう?

家族や親戚が集まるお盆やお正月に、大切な事を話し合うことってありますよね。

今回は、先月のお盆に私が体験したことを書きたいと思います。

 

親戚一同が集まり、私の母の父親(祖父)の相続について話し合いが持たれたんです…。

 

相続関係図

【相続関係図】 

 

〈概要〉

・約20年前に祖父が他界、8年前に三女が亡くなりました。

・兄弟姉妹はこれから高齢になるし、新たに相続が発生したら、また相続人が増えて複雑になるので、祖父が所有してていた不動産について相続登記することになりました。

・財産は自宅2軒と他に土地が多数。

 

 

遺言は無く、相続人は8人。

一体、どのような遺産分割協議が行われたと思いますか?

 

 

「不動産を売却して、代金を相続人で分けた」

「まったく話がまとまらず、揉めている」

 

いろいろ想像してしまいますよね。

 

 

答えは

『長男がすべての不動産を相続し、他の相続人への代金での清算は一切無し』

です。

 

 

代襲相続が発生し、相続人8人にそれぞれ生活がある…いろんな横やりが入りそうですよね(^_^;)

揉めることなく、相続人が納得して遺産分割協議ができた理由を、相続アドバイザーという立場から私なりに考えてみました。

 

理由①:「家を守っていく」という意識

理由②:「本当の幸せ」をこれからも皆で共有したいという想い

 

古いと感じられるかもしれませんが、代々受け継がれてきた「家」「〇〇家」をこれからも引き継いでいくという想いが根底にあるように感じました。

地元長崎を離れ、県外で生活している相続人もいます。

それでも、お盆とお正月は必ず集まり、皆でお墓参りに行く。

これを良き慣習として続けています。

こんな、何の変哲もない普通のこと、そしてこの普通のことをずっと続けていけることが幸せなのかもしれないと感じる今日この頃です。

 

この二つの理由、実は、三女の夫が話したことがヒントになったんです。

 

三女の夫これは妻の家の相続。私たち家族が口を挟むべきことではない。妻の実家がこれからもうまくいくようにやって欲しい。妻が生きていたら、きっと妻は「私は、盆と正月にみんなで顔を合わせて、話ができれば、それが幸せよ。」と言うから。

 

 

私は、この言葉に相続の奥深さを感じました。

人間が生きている以上、欲望から完全に逃れることはできません。

 

以前は仲が良かったのに、相続を機に全く疎遠になってしまった兄弟姉妹を何度も見てきました。

確かに兄弟姉妹間でも生活力の違いから貧富の差があるでしょう。

 

生活が厳しい方はつい親の遺産に頼り、「もらえるならいくらかでも欲しい」という気になります。

逆に、余裕のある方でも、「自分にはそもそもこれだけの権利があるのだから、それをみすみす譲る気はない」という人もいます。

 

時として自分が全てで、人なんかどうでもいいと思ってしまう…、

それが相続の怖さかもしれません。

 

 

・もし、私が相続人だったら、三女の夫のように言えただろうか?

・もし、私が職を失ってその日の生活すら精一杯だったとしても、同じように思えただろうか?

・もし、この相続の相談を受けた時、相続アドバイザーとして、どのように解決しただろうか?

なんてことを考えてしまいます。

 

相続アドバイザーは相談者の道案内人として幸せに導く役割があります。

『誰の幸せを願うのか?』このような自問自答が続いています。

 

「自分が幸せならそれでよい」

「多少自分が我慢することになっても、相続人みんなで幸せになりたい」

「相続した財産で何か社会に役に立つことをしたい」

人それぞれ、いろんな答えがあり、どれが正解というのは無いのかもしれません。

 

 

私は、ご先祖様から受け継いだ、家族・親戚との絆を自分の子供や孫にも引き継いでいきたいです。

そう考えると、おのずと自分が取るべき行動が見えてくるように思います。

家族

相続は、自分がどうありたいか、家族にどうあってほしいか、ちょっとした心の持ち方や有り様で変わってくるのかもしれませんね。

(能登谷)