梅上げ裏方随行録

梅上げ裏方随行録

【午(うま)仲間の皆さんへ】

3月8日の梅上げ裏方お手伝い、大変お疲れ様でした。

お陰様で素晴らしい体験ができたと、今回お手伝いに参加させて頂いたことを、心より嬉しく思っております。ありがとうございました。

さて、感動の熱が冷めないうちに、午(うま)仲間の皆さんには、仲間として迎えて頂いたお礼と、来年の設営時の参考となる様、感想文的な随行録を書いてみました。

また少しだけ感じたことを提案として、お伝えできたらと思い、ブログを認める次第です。よそ者の生意気を何卒お許しください。

【感想】

まずは何より、肌寒い早朝の天満宮にて、旗を持って誘導する際に見た光景は、参加者の先輩たちが一様に「お世話になります」と嬉しそうな笑顔で参道を登って来られたことです。

そして絵馬堂前での「おおー久しぶり‼」「元気しとった~?」等々の嬉しそうな悲鳴を垣間見るにつれ、どれだけこの事業が還暦対象者の皆から、心待ちにされていた機会だったのかが、実際に体感できるひと時、そんな時空間でもありました。

唯一心配だったのは、境内へ上がる際に「飛梅」周辺で待機している間、多くの観光客が「飛梅」周辺で写真を撮ろうにも、そこへ近寄れないほどの賑わいを見せていた点です。来年の注意事項として指摘されなければ良いのですが…。

そしていよいよ厄除け祈願祭が始まる姿は、楼門から本殿内部を見守る中でも、赤の法被が所狭しと壇上一列何層にも溢れ、仮殿屋根上の緑樹とのコントラストが、まさに圧巻映えするシーンとなっていました。

さらには静寂の中に流れる祝詞の響きと相まって、神聖で厳かな、聞きしに勝る古来からの美しき日本を、実感体感できる時間が流れておりました。

私は還暦対象者の背中を見届け、カルコアへの荷物搬出に向けて、一足先にお宮を出た次第です。カルコアでは既に牛舎を引く四~五人の方たち、そして梅林隊の方々が来られておりました。

皆さんから一様に「天気になって良かったねぇ~」と嬉しそうに声を返して頂き、特に牛の毛並みをブラッシングしつつ、お世話をされている方からは、「この黒毛和牛も今年が三歳で、今日がデビューの日なんやけど、神事に抜擢されたお陰で、めでたく寿命が伸びたとバイ‼」と、少々過激なお祝いメッセージを発せられておりました(笑)。

五条公民館と利休で下ろす、補給用の餅や備品を車に詰め込み、また一足先に中継地点の五条公民館、そして利休まで軽トラを走らせ、それぞれ積み荷を降ろしたタイミングで、カルコアに戻りましたが、四階会場内で出発式が始まったところでした。

急遽、来年の為に、その状況も見ておこうと会場内に入り後方に控えておりましたが、還暦対象者の座る会場前面にて、我ら午組も一列に並び、ご挨拶の機会を得て、鳥越会長が緊張の面持ちで何やら呟いてありました(笑)。

そこから私はまた輸送班として、太宰府館用の荷物を松尾教師と一緒に軽トラに詰め込み、出発前の本体のいるカルコアを跡にした訳です。太宰府館では、荷物の事前搬入に留まらず机2台の貸出にも、快く了承を頂きました。

そこから最初の中継地点、五条公民館へと戻ったのですが、到着がやはり随分と遅れていました。途中接待での攻勢もあり、進行にかなりの時間を要したようで、顔を真っ赤にして嬉しそうな参加者とは裏腹に、裏方運営側としては少々先が思いやられる展開…。

しかし本体到着を公民館で待つ間に、地元の長老達から、いかにこの「梅上げ」を地域の人たちが楽しみにしてあるか、いかに歴史と想い入れの有る事業なのかを、得々とお教え頂けました。

結果として、運営側で初対面であった私にも、あらためて地域との絆、地域での世代間交流を、これ程までに促してくれる、この「梅上げ」の魅力と尊さ・素晴らしさを、存分に感じ取れた次第です。そしていよいよ本体の最初の中継地点到着です。

本当に待ち焦がれた表情の、地域の老若男女・高齢者や子供たちが満面の笑みで迎えています。それを横目に私たちは次なる設営補給先の太宰府館へ、人員準備補給のために移動。既に太宰府館周辺では、土曜日お昼前後で多くの観光客で大賑わいの状況…。

ここに本体が来ることを想像するだけで、興奮に胸が高鳴る程です。

今度は最初の出発地カルコアに、休憩を終えた五条公民館経由で、段ボールや備品等の忘れ物有無の確認やお礼も含めてのご挨拶。カルコア事務室も毎年の事なのか、にこやかにご応対頂き、恒例行事としての貫禄を感じました。

そこから今度は最後の休憩補給地の馬場公民館へ向けて移動。既に例年よりスピード消化してしまった、配布用餅の確認とアラレ整理、車をそのまま駐車させて頂き、本体を待ったのです。ここでも、感慨深い『梅上げ』への想いを、区長会会長さんからも講義を受け、最後の練り歩き合流へと期待を高めたのでした。ここで貴重な申送りを頂きました。

区長会長曰く「隊列が例年になく長くなったのは、食事が無かったためにケジメやメリハリが無くなったことと、後ろを守るガードマンがおらんかったことが原因ばい!そげん覚えとって」と…。そしてついに囃子の音が聞こえてまいりました。

いよいよ本体の到着です。すっかり補給用の餅も無くなり、お顔も随分と赤い参加者が多数です。途中接待の場所でさんざん食べたらしく、満腹満足の面々も…。

私たち設営支援組は、回収してきたゴミ関係と段ボール類の分別整理。その後に馬場公民館にも、ゴミ一つ残さぬ様、手分けして処分処理までを担当分け、その後の役割分担もしておきます。

本隊はしばらく賑やかに盛り上がった後に、最後の目的地・宮司邸前に向け出発です。その折には、先頭の牛は既に太宰府館から参道へと曲がり、足手まといとなる心配も無用…でしたが、足手まといとなるのは、今度は多数の赤らめた参加者の方でした。

一方参道では「お祭りに出くわした‼ラッキー‼」と写真撮影する、多くの観光客…。「これは一体なんのお祭りですか?」と、多くの観光客からも尋ねられます。

また参道では複数の過剰な?接待に、道行く観光客も「自分たちもありつけるのか…?」と悲しい期待感もあり、ごった返しつつカオスの如く進みます。

我ら支援部隊は「さあっ、もう皆は先に進んでますよ‼」「あなた達が最後なんですよ‼」と、お尻を何度も叩かねばなりません(笑)。そうこうして、ようやく参道突き当りの宮司邸前。最後のお披露目で、一列に並んだ梅囃子隊の演奏に、観光客も大喜びの内外共に写真撮影タイムです。

そもそも休日の太宰府天満宮という、こんなに大きな舞台が有ること自体、あらためてこの「梅上げ」という事業の、福岡県を代表するにふさわしい「山笠」や「ドンタク」、「わっしょい百万夏まつり」等にも次ぐ様な、類稀で幸運なる環境下だと確信した次第です。

宮司邸からは前宮司でもある最高顧問や奥様もねぎらいに出て来られ、温かく迎えて頂きました。そして宮司邸前での撮影後には、行事最後の植樹場所へと移動します。

恙なく植樹まで終了し、還暦参加者の代表から解散宣言が為された後、社務所前で参加者の法被と餅袋の回収、そして記念品渡しで、めでたく終了となりました。

どうやら参加者のお一人だけは、案内所のトイレから出て来られずでしたが…。しかしなにより無事に「巳午会梅上げ」の終了です。

そこから対象者たちは打上げ会場の「寿司栄」へ。私たちは回収した餅袋と法被を、受取りに来られたクリーニング業者さんへ引渡し、一応の解散です。私たち設営支援の午組で、その後も参加可能な面々は、打上げ会場の「いのきち」に移動となったのでした。

【提案】

これだけのインパクトと伝統・感動ある素晴らしい事業なのに、なぜ行政等からの具体的な補助や支援が、かくも少ないのか?

懇親会の席で牛仲間の皆さんからのお話を聞き、少しだけガッテンがいったのは、毎年構成が変わる任意の団体であり、これを継続的に所轄する組織や事務局がないこと、それにより信用信頼を寄せる場、責任を担う対象者も存在していない事に、それが起因している、そう感じました。

また本事業の担い手は、太宰府・学業院中学校の卒業生で行うものと、暗黙の了解があり、それが伝統として守るべきものという、しかし逆にそんな固定観念に支配されているとも感じた次第です。

途中で出くわした、近隣市町村の観光客からも、「本事業へ参加したい」という、純粋な興味やお尋ねを幾つも聞きました。その答えに若干窮する体験もしましたので…。

来年は丙午(ひのえうま)で例年よりも出生数・対象者数が少ない状況です。さらには太宰府中学校新設時からの卒業生と学業院中学卒業生との交流も薄く、自ずと本事業への誘い合せや声かけが、今までよりも弱まるのではないか?そんな危惧もあると聞きます。今一度、本事業「梅上げ」の理想の姿を考え、その一歩を踏み出す時が来ていると思うのです。

具体的には、実行委員会や本事業への参加者を拡大し、地域と歴史により深く、そして、より永く根付く為の行動を起こすべきではないのか?

「60年に一度の我々が。次なる60年の為に、60年の感謝を込め…」

これが、丙午の我々の使命ではないか?とも…。